我が母校-大阪市立高等学校
我が母校である誇るべき大阪市立高等学校を紹介したいと思います。
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大阪市立高等学校(おおさかしりつこうとうがっこう)は、大阪府枚方市にある公立高等学校である。全日制の課程を設置し、普通科・英語科・理数科の3学科を併設している。
【大阪市立高等学校
概要
】
枚方市内にあるが、大阪市が設置している。なお本校は、大阪市立大学の附属学校ではない。
長らくの間普通科のみの設置であったが、現在は英語科・理数科も併設している。英語科ではALT(外国語指導助手)を交えての英会話の授業や、「サマーセミナー」と称する英語合宿などで、英語力の向上を目指している。理数科では専門科目「理数」を学び、野外観察実習などもおこなわれている。
【大阪市立高等学校
校名について
】
「大阪市立高等学校」という名称だが、大阪市立の高等学校はこの学校が唯一というわけではなく、当校の他に22校の大阪市立の高等学校がある。これは設立当初、大阪市が設置した唯一の旧制中学校だったことから、固有の名称を持たないまま開設したためである。
新制高等学校に移行する際に名称変更の議論があり、実際に1948年には『大阪市立枚方高等学校』とする計画で校名変更の準備まで進められたが、当時の大阪市からのクレームなどから最終的には現校名で新制高等学校に移行した。その後も校名変更の議題は幾度か上がっていたが、『市立』として定着した現在ではその議論は起こっていない。
呼び名については、正式には「おおさか『しりつ』こうとうがっこう」であるが、『しりつ』という言葉が『私立』と混同する場合があるため、通称として「おおさか『いちりつ』-」と呼ばれており、在校生・卒業生等の間では、略称として『いちりつ』とこの通称のほうを略してで呼ばれることが多いために、しばしばこの通称のほうを正式名称であると誤認する受験生がいる(学校の制服や、体操服、ネクタイにも「ICHIRITSU」と書かれている)。
【大阪市立高等学校
沿革-創立
】
1900年に大阪府が打ち出した『大阪府教育十カ年計画』により、大阪市内の中等教育については大阪府は中学校などの普通教育学校を中心に設置する一方、大阪市は商業学校などの実業教育学校を中心に設置するという「棲み分け」の状況が、明治時代後期以降続いてきた。
しかし昭和時代初期になると、大阪市内での中等教育学校への進学希望者が増加し、既存の教育機関は入学難状態となった。そのため大阪市でも学校増設を図ることになったことを背景に、大阪市立としては最初の旧制中学校(5年制)として1941年に開校した。
最初の2年間は大阪市此花区酉島・酉島工業学校内に仮校舎を設置していた。
2年後の1943年、当時の北河内郡枚方町からの誘致を受け、北河内郡枚方町字中振1542番地(当時の住所表示)の現在地に移転している。1944年には戦時措置の影響で4年制となり、第1期生が1945年3月末に4年修了で卒業している。
開校当初は大阪市立として唯一の旧制中学校だったが、その後大阪市立汎愛中学校(現在の大阪市立汎愛高等学校)が設置されたことなどで学校の固有名称を区別する必要が生じたとして、太平洋戦争終戦後の1946年には「大阪市立第一中学校」への改称案が出された。しかし「第一」など番号での校名は学校の序列・格差を示すと受け取られてふさわしくないとする意見があがり、校名改称は実現しなかった。
【大阪市立高等学校
沿革-学制改革
】
1948 年には学制改革により大阪市立高等学校が発足した。この際学校側では「大阪市立枚方高等学校」としての新制高等学校移行を大阪市に申請した。しかし大阪市からのクレームがあり、また代案も見つからなかったため、結果的に「時間切れ」の形で地名などの固有名称が入らない「大阪市立高等学校」として新制高等学校へと移行した。大阪市立高等学校は普通科高校として出発した。
1948年には旧制高等女学校だった大阪市立扇町高等学校と男女生徒を交流し、男女共学を実施した。また扇町高等学校のほか、大阪市立南高等学校・大阪市立桜宮高等学校、大阪市立中之島高等学校、大阪市立下福島高等学校・大阪市立西華高等学校からも女子生徒を編入している。
扇町高等学校ほか計6校より女子生徒43人(高校1年18人、併設中学校3年25人)が大阪市立高等学校に転入し、また大阪市立高等学校の男子生徒 45人(高校1年24人、併設中学校3年21人)が扇町高等学校へ転出している。
【大阪市立高等学校
沿革-府立移管問題
】
大阪市教育委員会は1978年9 月30日、大阪府教育委員会に対して「大阪市立高等学校の大阪府への有償譲渡」を求める公文書を提出した。
府立移管問題に関連して、従来入試では8学級募集だったところを1979年新入生は募集定員が2学級分減らされ、6学級での募集となった。当時公式には「1979年の大阪市立東高等学校移転に伴う東高校の受け入れ枠増加により、その分を大阪市立高等学校の募集減とする」と説明されていた。しかし当時大阪市立高等学校では大阪市内在住生徒4学級分・市外在住生徒4学級分として新入生を受け入れていた[5]が市内在住生徒の定員を減らされた形になったことから、「市外在住生徒が大半を占めると大阪市立学校としての運営根拠を失う。すなわち学級減は府立移管へつながる」という背景があるとみられた。
生徒急増期を迎えて高校教育拡充要求が高まっていたという当時の社会的背景や、学校関係者への事前の意見聴取なしに教育委員会上層部が方針を決めたことへの反発などがあり、教職員や卒業生らを中心に府立移管計画を白紙撤回することを求める運動が起こった。また府立移管の足がかりになるとみられた募集定員減についても、学級数復元を求める運動がおこなわれた。
学級数復元については1980年に実現し、学級数減少は1979年入学生のみにとどまった。その一方で学校側は将来の府立移管の動き再燃に備えての体制をとり続けていた。1988年には大阪市教育委員会から「府立移管問題は白紙撤回したと見なして差し支えない」という見解が出され、移管しないという方向で終結した。
【大阪市立高等学校
英語科・理数科新設
】
大阪市立の高等学校では1980年代以降、特色化の方向での改編がおこなわれるようになった。普通科系の高等学校では普通科系の科目を深く学ぶ専門学科を併設することで特色化を図る動きが進み、市立高校でも1993年度より英語科・理数科の2学科を開設している。
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